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死にたい気持ちをあらゆる方法で表現するブログです。

会社の「うつのサインの見分け方、該当社員への気の配り方」みたいな資料をちょっと見た


うつ 睡眠障害


おーねむい

ねむすぎてちょっと体調わるい




ちょっともう無理かも


ほんとに早く帰ろうかな


ねむすぎる

ねむい。死にたい。

ねむい。死にたい。


なんで生まれてきたのか。

生まれてきて何も私はできてこなかった。

なんもできなかった。

早く死にたい。


私は子孫を残すべきでない。

早く死にたい。


なんにもできない。


この物語を書くこともできない、


人は主人公がなにかをできる物語を欲しているのだ


私は主人公が何もできない話しか作れない



私の頭が悪いからだ


ねむい 死にたい 死にたい ねむい

早退したい

断続的に死にたいので、いつ衝動的に死ぬかもわからないし、遺書を早めに書こうとは思うのですよ。

ですがなにを書けばいいのかわからない。

自分の人生について語ろうとすると、ネガティブな自分否定ばっかになるの必至だし。


ねむいからとりあえず寝よう。

続きは明日に考えよう。

おそらく、私、ADHDで鬱な可能性高いんじゃないかと思うのだが。

医者を信用してなくて、精神科とかかかっても意味ないだろと考えてしまう。


頭が悪い、要領が悪い。

死んだほうがマシ。

生きるのが無理すぎる。

生まれつき生きづらさが生じやすい気質だったとしても、頭が良ければここまで死にたくなることはないだろう。

今まで偏差値の高い人たちの周りに囲まれてこられたのは、超わかりやすい塾のカリキュラムと、自身の中途半端なパターン認識力が多少うまく働いただけのことであって、私が周りの人たちと付き合うに値するかというと、全力でNOなのである。


偏差値の高い人に限らない。

世の全ての人だ。


彼らの頭は私には全くもって想像がつかないほど思考を続けていらっしゃる。

私には到底その速さには追いつくことができない。


私のこの非力なパターン認識力は、正解を与えられてしか動くことができない。

他人との優位性がまるで何もない。

存在価値がまるでないのだ。

誰が私の死にたい気持ちに興味を持つかという問題である。

太宰治の死にたい気持ちは、なんとなく興味が湧く。

私の場合はどうか?


早く死にたい。

何にも上手くできない。

人と喋れない。

目を合わせられない。

きつい。